床屋の看板 2つの由来・諸説

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床屋の看板 2つの由来・諸説 


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床屋の看板 2つの由来・諸説

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▼詳細
1枚目の写真は、明治初期の『ねじり棒』(サインポール)床屋さんの看板です。


この床屋さんの看板には、2つの諸説があるのをご存知でしょうか。


1540年頃、パリの外科医メヤーナキールが創案し、彼の医院の看板に用いたのが始まりです。その後、理髪店でも用いる様になり、日本では東京 常磐橋の側に在った、「西洋風髪剪所(かみはさみしょ、経営は川名浪吉さん)」で、明治4年に用いたのが最初です。


1つ目の説
理容店のくるくる回る「赤」「青」「白」のサインポールの由来は、中世ヨーロッパまでさかのぼります。
その当時、病気などの患者さんに対し、ポピュラーな治療法のひとつに、「瀉血(しゃけつ)」がありました。これは「身体の悪い部分には悪い血が集まる」という考えから、その部分の血を抜き取るという治療法でした。
治療に際しては、患部を切開して血を抜き取る際に、患者に棒を握らせ、腕を固定し、そこを伝って受皿に落ちていくようにしていましたが、術後に血のついた棒をそのままにしておくのは衛生上好ましくないとのことから、その棒を赤く塗って使用するようになりました。
その棒は、barber-surgeon's pole(理容外科医の棒)と呼ばれ、後にbarber's poleつまり理容店の棒と呼称されるようになったといわれています。
治療が終わった後、洗浄したその赤い棒と傷口に巻いた白い包帯を店の軒先に干していたところ、風に吹かれてその白い包帯が赤い瀉血棒にらせん状に巻き付きました。
その模様が、現在のサインポールの原形になったと言われています。
そののち、1700年代にフランスや英国で、理容師と外科医が区別された際、理容師は青を、外科医は赤白にと定められたため、理容店の看板は今日の赤・白・青の3色になったといわれています。
その他色々と諸説はありますが、信頼性が高いこの「瀉血(しゃけつ)」説が有力と『全国理容環境衛生同業組合』では言っています。


2つ目の説
こちらの方が認知度が高いかもしれません。
「三色ねじり棒(サインポール)の赤は動脈、青は静脈、白は包帯を表している」という説です。

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