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看板の歴史 


看板の歴史

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写真は、明治時代後期のもので「中将湯」の製造元である津村順天堂の東京店を写したものです。
「中将湯」のシンボルである姫君を、当時の大きな看板に描いていたので、これがどの会社なのか一目で判りました。


 現在の店の看板の原型は、八世紀の法律によって定められました。都で毎年開く市は、商品を表示で示すこととされていました。「養老律令の注釈書として天長10年(883)に完成した『令義解』には、「凡市毎律立標題行名」とあります』看板は見た目に美しいことを第一のねらいとして作ることは少なく、多くは実用を旨としおり、製作を依頼した商人とその看板を用いる世界について、多くのことを語ってくれます。最も単純な看板が最も優美である場合が多かったですが、そのような看板は文字を用いませんでした。文字を使ったところで、字の読めない大衆には意味をなさなかったのです。言いたいことを伝えるには、筆や数珠や樽の形を示すだけで十分だったのです。
 徳川幕府が支配する江戸時代には単純な形態の看板が多かったですが、明治時代になると商人階級が国家の運命を支配する勢力になるにつれて、看板はいっそう豪華で想像力豊かなものになっていきます。
 江戸時代には、幕府は看板―そして商人―の贅沢と華美を抑えるために奢侈禁令を度々発布しています。
 そして明治時代になると、商人が次第に富を蓄積し、社会を支配するようになりました。
 即ち、世の中の貨幣の動きに伴って、権勢のバランスも移動したのです。
 江戸時代までの看板には、漆・上品な文字・金字・浮世絵の絵や像を一般に用いていましたが、明治時代になると、異国の新しい言葉と表象が、日本人の生活の内部に浸透しただけでなく、看板にも影響を及ぼし始めました。日本が海のかなたの異様な世界に門戸を開くとともに、看板はいっそう華美で新奇なものになっていったのです。
 ある看板がいつの時代のものであるかを明らかにするためには、歴史が多少の目安になりますが、それだけでは正確とはいえません。字体や、これまでになかった製品の出現や、商標を用いていることも、ある程度は時代の測定の手がかりになります。明治17年(1884)に商標の登録を認めるようになったために、それ以後の看板には「商標登録」という文字が入るようになり、また古い看板は新しい法規に合うように変えされられました。天皇は時折その権力の強化に努めましたが、このことも看板に反映されています。例えば、菊花紋の使用は規制されました。
 看板の絵や意匠は、その時代に用いられた形象と人々の感性を反映しています。相撲の力士象は力を表し、版画の一つの主題になっている美人は楽しみと健康を表現し、松は長寿を象徴します。流行を追い求める日本人の傾向も、看板にははっきりと出ています。イギリスの船長や馬やハートの図柄は、日本に登場するとたちまちグラフィックアートに取り入れられました。商標には最新の極めて風変わりな図を用いました。また判じ物になるような名を商標や製品に付けることは、コプーライターがいち早くに考案したことで、広く行われました。
 看板は伝統芸術であるわけではなく、古い看板が風雨にさらされたり建物が取り壊されたりすると、その代わりにぴかぴかの新しい金属製の看板やネオンサインが取り付けられました。

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